2007年10月29日月曜日

鬼灯草紙 壱

ゆらゆらと、さわさわと、今年も始まるは鬼灯草紙…

※※※

様々な蝉が鳴き喚くのにはもう随分と昔から慣れてしまった。視界に田や山、そしてぽつぽつと建つ家しか写らないこの土地で私は生まれ、育ち、暮らしている。
そんな過疎化が進みつつある私の村。盆地に作られたため、陸の孤島と言われるほど他村との交流がない。今時珍しいあまり他者との関わりがない隠者めいた生活に憂いた子供たちは都会へ流れ、ますます村は過疎地となってゆく。こんなこと考えている私も正直な気持ち、都会に興味が無いわけではない。が、都会へ行くことができるほどの資金も夢も好奇心もない私にとってここで暮らすことは必然だった。
今通う高校は来年には廃校となることが決まっている。私が通っていた小中一貫の学校も今は廃校を免れているがそれは時間の問題だった。そんな緩やかに、確実に終わりへと近付くこの村で夏の終わりを告げる唯一活気づく神社の祭が今夜行われる。

「ねぇ詩乃は今年の鬼灯祭には誰と行くのー!?」
「……突然大声で名前を呼ぶな依縁(いより)。寿命が縮む寿命が」
「何言ってんの?そこまで君の神経はか細くないのに」
余計なお世話だ。小さく呟きながら私は机から身を起こした。
廃校が決まったとは言え、まだ高校は存在している。
私に話しかけている女は私と同じくここにとどまる一人だ。神社の神主となることがすでに決まっている彼女とは家が近いのもあって、小さい頃から遊んでいた仲だった。
「で、誰かと行く予定はある?」
「…なんか口説かれているような台詞のうえ、私の解答はそれを了承するようなものだからとても不快だ。誰とも行かない、いつも鬼灯祭は一人だ、というか依縁以外と行ったことがない」
「うん、私の場合は行くじゃなくているだけどね」
いちいち揚げ足をとらないでほしい。欠伸を噛み殺しながら私が勝手に帰りの支度をし始めると慌てて依縁は本題へ入っていった。
「ちょ、ちょっと待った詩乃!別に意味なく話しかけてきたわけじゃないんだから。お願いをしにきたんだよ」
私は思わず首をかしげた。依縁が私にお願いがあるとは珍しい。近くに神社が無いここでは神主の力は強大だ。彼は謙虚な性格なため、そんな感じは全くないが。何故だろう、と考えてみる。
「いや、そんな大層なもんじゃないから。詩乃はなんか変に思考が入るから面白いよねー」
「余計なお世話だ」
「それでね、うちのお祭りって毎回鬼灯を使うじゃない」
「人の意見は最後まで聞け」
「その鬼灯って当日にあの暗い神社裏からとってくるものなんだけど」
「聞いてないだろ」
「今年から私がとる係になったんだよ」
「聞く気がないだろ」
「でも私、暗いのがどうしてもダメなんだって知ってるでしょ」
「………で?」
「一緒にとっておくれよー…」
正直、今の気分だと物凄く断りたい。
しかし彼女がとことん暗闇が苦手なのも重々承知だ。そして私にある拒否の理由は今の気分だけなので断れるわけがなく、答えは決まってしまっていた。
「はぁ…、いいよ。一緒に採りに行こう」
「やったあ!有り難う詩乃、惚れちゃうよ!」
「最後の言葉が余計だ」
「じゃあ夕方頃に来てね…むむ、詩乃に袴を着せなきゃいけないなぁ。そうだ、用意もあるし今日だけ詩乃はうちでご飯を食べよう」
「だから人の意見は最後まで聞け」

※※※
この時から始まる鬼灯草紙
百鬼夜行に魅入られて
常世への門は開かれる
案内人は何処へ誘うか
※※※

「これ、きつくないのか?」
「大丈夫、大丈夫。ぴったりだし、充分似合ってるよ」
両親に断りをいれてから私は依縁の自宅へと向かった。境内ではすでに屋台の準備が済まされていて、気が早い店ではもう商売を始めている所もある。お面をつけた子供たちが笑いながらそんな店を冷やかしていた。
いつもの光景を見つつ、私達は端にある依縁宅へと入っていった。
彼女の家は大きい部類に入るが、今は様々な人が忙しそうに行き交っているため狭く感じる。毎年のことで慣れているのか、依縁は流れる様に人波をかわして奥の部屋に向かっていった。
それからの清めや着付などの準備に時間をかけ、結局私と依縁が巫女服を着終わったのは夕暮、黄昏時だった。外ではひぐらしが鳴き始め、来たばかりでは聞こえなかった祭独特のざわめきも耳に入るようになっている。
着慣れない和服に戸惑いつつも、鬼灯の生える神社裏へ向かおうとした私に何かが思い切りぶつかった。お面をつけた子供で、お面のちょうど尖った部分が私のみぞおちに直撃してきた。子供の体当たりいえども急所に当たった私は鈍い痛さに思わずうずくまった。
「ごめんよ姉ちゃん。前が見えてなかったさ」
うずくまった姿勢から子供を見上げると、まだ小学二、三年ぐらいの少年だった。被っていた面は稲荷狐を模したもので、見えるかどうか疑いたくなるほど細い目とその目尻に紅い勾玉模様がやけに目についた。
「こら、危ないでしょ!綿菓子でも持ってたら割り箸が喉に突き刺さってたよ!?」
やたら具体的に、しかもまた嫌な例をだしながら依縁が少年を注意している。私もせっかくの袴を汚したくはなかったので怪我がないのを確認するとほこりをはたきながら立ち上がった。
改めて見た少年の表情はやはり狐面で隠されているが、その雰囲気からして何故かとても可笑しそうにしているのが分かった。自分が怒られているというのに、不思議な少年だ。
「ごめんよ姉ちゃん」
依縁の言葉に全く反省の色を見せずにさっきと同じ言葉を放ち、少年は祭の人込みの中へと消えていった。実際には一度も笑っていないが、声が、その存在が私達を笑っているようで不気味に思え、私は思わず身震いした。しかし、そんなことには気がついていないのか依縁は溜息一つついただけで何事もなかったかのように私の方へ振り返った。
「さて、大丈夫だった詩乃?鬼灯はこっちに生えてるんだ、はやく採りに行こっ!時間空いたら祭に参加できるしね」
裾を引っ張られた私は曖昧な返事をしながら、もう一度少年が消えたほうへ目を向けた。狐面の少年はもう、見えなかった。


神社裏というのは暗所恐怖症の依縁でなくとも薄気味悪く感じる場所だ。石畳の一本道とその横に等しい感覚で並ぶ行灯だけが私達を鬼灯まで導いている。少し歩くと祭の声は聞こえなくなり、虫の音だけが辺りを包んだ。
「も、も、もうすぐだよね詩乃そうだよね詩乃」
「そんな神主の娘が知らないことを私が知る訳ないだろう!」
神社裏に入ってしばらくもしないうちに依縁は私から離れなくなってしまった。ただでさえ暑いというのに、しがみつかれた左腕だけがさらに汗ばんでいって気持ち悪いので依縁を引き剥がしながら一本道を進んでゆく。
やがて道は途絶え、仄かな灯に照らされている鬼灯が私達を出迎えた。そこにある実はまるで橙の炎が宿っているかのように紅く、ゆらゆらとぶら下がっているその姿は提灯を彷彿させた。私の背中越しに鬼灯を確認した依縁は大きな溜息をつくと、ようやくそばから離れ鬼灯へ歩み寄った。
この神社独特の儀式なのか、依縁は榊の枝を振るいつつ、ゆったりとした舞を踊り始めた。まるでこの世ざるものを呼び込むかのような舞に私は思わず魅入ってしまう。踊りながら依縁は懐から白木の鞘に包まれた合口を取り出し、舞の流れと共に引き抜いた。白銀の輝きが一瞬、鬼灯の灯に照らされて妖艶の煌めきに変わる。
たたんっ、と依縁は舞の最後に大地を踏み鳴らし、頭上高く上げた腕を振り下ろすと目の前の鬼灯を切り取った。
鬼灯を落ちる直前に受け止めた依縁はもう一度溜息をつくと、こちらに振り返り笑顔になった.
「完了〜!」
「はいはい」
どうやらこの仕事に緊張していたらしい.急にいつもの騒がしいくらいの明るさで褒めて褒めてと迫るのを私は頭を押さえ付けて阻止した。その行動が気に入らなかったのか、依縁は頬を膨らませながら、暗い場所が苦手だというのに駆け出して行った.
「ちょ、暗いと危ないよ?」
「お子様扱いは反対です!!」
暗いのはダメだと言ったのはお前自身じゃないか.一本道だからいいものの、複雑道筋だったなら依縁はもちろん私だって迷子になってしまうような暗闇だというに。
「はやく帰ろー…!」
もう遠くから依縁の声がする。はぐれてはいけないと私は慌てて依縁を追いかけようとした。
が、ふと何かの気配を感じて鬼灯が生える背後へと顔を向けた。薄暗い闇の中で鬼灯は黙々と紅い光を瞬かせていて、地面に何かの影を作っている。それはまだ子供ほどの大きさで、顔にあたる部分は…
(…き、狐!?)
氷が背筋に入り込んだようだ。身体は金縛りにあって、依縁を追いかけることができなかった。
「……っ!?」
声も出せない。私はここがいつもの場所ではないと確信を持った。…だとしたら此処は、どこなんだ?
クスクスと堪えたような笑い声が影から聞こえた。その声は先程の少年と同じ声で、影を揺らめかせながらずっと笑っている。ただただ笑い続ける影は鬼灯のさらに紅くなった灯に照らされて、より濃く、より深い闇に変わって、私の本能に警報を鳴らした。
私の身体が逃げろと告げるた。私の思考が恐怖に染まる。此処にいてはダメだ。此奴といてはダメだ。逃げろ逃げて逃げろ逃げなきゃ!!
金縛りにあった身体を無理矢理動かし、私は無様な格好で走り出した。何度も石畳に躓きそうになるが、気力をふり絞り走り抜ける。依縁のことも心配だった。彼女の声はすでに消えていて、先に帰ったのか迷ったのか分からない。しかし今は振り返ったり遅くなると影がすぐ近くで笑っているように思えて、ただ何も考えずに走り続けるしかなかった。

どのぐらい走ったのだろう。来た道以上の距離を走った疲れを感じるので、夢ではないかと疑うが転んだときにできた擦り傷や袴の汚れが現実だと言っている。
私の目の前には、先程の鬼灯の灯とは似て非なる暖かな祭の灯が広がっていた。ざわめきは行く前よりも少なくなっているが、それでも今の私にとって人の存在は大きかった。
「そうだ…依縁は…?」
無我夢中で走っていたため、途中から依縁のことを忘れてしまっていた。彼女が持っている鬼灯は毎年、祭の最後に巫女舞と先祖の供養の儀式で使われている。腕時計を見ると、既に儀式があっておかしくない時間だった。
私は辺りを見回して彼女を探した。周りはまだ祭を楽しんでいて儀式が始まる雰囲気ではない。すっと私の中で一つの不安がよぎり、私は詩乃の自宅へと走っていった。祭にいないのなら、彼女は自宅にいるはずだ。居なかったとしても、神主である彼女の父が何かしら知っているに違いない。いや、そうであって欲しかった。誰かに先程のことを夢だと言って欲しかった。この先の事を現実ではないと言って欲しかった。

彼女の家の引き戸を思い切り開けたその先には、うろたえた神主がいた。元々気が弱そうで常に青白い彼の顔は今ではさらに青くなっていてまるで死人の様だった。周りの人も何かに困っているような仕草で行ったり来りを繰り返している。私の中の嫌な予感がさらに増した。
辺りを泳いでいた神主の視線は玄関でほうと立つ私をとらえ、彼はようやく安堵の表情を浮かべた。慌てて私のもとに駆け寄り、そして、私と共にいるはずの愛娘がいないことにも気がついてしまった。
「い、依縁はどこだい詩乃くん…、君なら知っているだろう?」
震える声の問い掛けに、私は先程のどうしようもない予想が当たりつつあることに気がつき、半ば呆然としながら恐怖と否定の意志として首を振った。
「そんな、知らないわけないだろう!依縁が持って帰る鬼灯はこの祭でとても重要だということぐらい、君も知っているはずだ!依縁が、祭に大切な存在だということも!儀式をするために!私がどれだけ!依縁はどこに行った!!依縁は依縁は依縁は依縁は依縁は!!!」
狂ったような神主の叫びが境内に響く。彼の言葉が私の中身をさらに掻き乱す。私は泣きながら首を振り続けるしかなかった、私にも誰か説明して欲しい、何故と頭の中で繰り返した。理解が追いつかなくて何も分からなくなった。

「依縁を返せぇ!!」

神主の叫びを最後に夜は閉じた。

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