2008年2月7日木曜日

優しい鎖

白き花びらの頃の蓉子中心話です。時折意味不かもしれません。口調とか違ってたらすみません

※※※

彼女は貴女にとって天使で、彼女は貴女にとってかけがえのない存在だ。

じゃあ、私はいったい貴女にとって何なのだろう…

※※※

「蓉子はどうか分かんないけど、私の聖の印象てさ、消える、なんだよね」
突然の江利子の言葉に、私は手に持っていたコップを落としてしまいそうになった。
ここは薔薇の館。お姉さまがたや妹たちはまだ到着していないため、そして滅多に来ない聖もやっぱりいないため、まだ部屋には江利子と私の二人だけしかいない。
今の時期はこれといった企画もないので、特に話題もなく、それぞれ好みのお茶を飲んでいたところに江利子は私にとって爆弾のような発言を投下してきた。
「聖が、消える…」
「そう、どこかに突然ふらふらって。予告もなく予兆もなくあてもなく」
でもまあ、今の彼女なら行くところは久保栞がいる場所でしょうけどね、と少し皮肉めいてから江利子は再びお茶を口に含む。たしかに、今の聖に久保栞は欠かせない存在となっている。
今まで人に興味というものを示さなかった聖を知っているからこそ、彼女の存在の大きさがよくわかった。そして彼女たちが突き進んだその先の結果も、月日が過ぎる度に考えたくはない予測が確実なものになってゆく。
「蓉子?」
「え…、ええ、確かにそんな感じはするわね…」
私は心空ろに返事をした。ここのところ、私の中には一人の友人に対しての不安と焦りが渦巻いている。白薔薇さまやお姉さまはそれを知っているのかいないのか、小さなミスを続ける私に何も言わない。
その不安の源が私の"お節介"だと自覚はあった。私が聖に世話を焼かなければ、彼女の幸福な生活の水面に波紋を生じさせることはない。
だけど世界は彼女たち二人だけで構築されているわけではないから、私という"お節介"な存在もその世界に関わっているから。未来に傷つくと分かったら、それを防ぎたい私は貴女に嫌われたとしても、行動してしまう。助けたい、硝子細工のような美しく繊細な彼女が傷つくのを見たくない、守れるなら憎まれ役だって引き受ける。
「…ま、たわいのない話もそこそこに。今日はちょっと用事もあるから、私はもう帰るわね」
お茶を飲み干したのか、もう湯気のでていないコップを持ち上げながら江利子は帰り支度をし始めた。
「そう、私はお姉さまが来るまでいることにするわ」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
リリアンの挨拶を終えると、江利子は振り返らずに手だけをひらひらさせてビスケット扉の向こうへ消えていった。
静寂が、薔薇の館を包む。時計の音が一秒ごとにそれを破るのが鬱陶しくて、電池を抜いてやろうかと考える。隣に誰もいないことがこんなにも苛つかせるのは初めてで私は少し戸惑った。
私の苛つきは心をばらばらに崩してゆく。心のパズルに一つだけピース足りない、必死に探す私をみて聖が冷ややかな笑みを浮かべている。彼女の手の平には最後のピース。

聖、それをちょうだい。残りの一つなの。

呟く私に、けれど彼女は苦笑しながら、背を向け去って行く。先程の江利子のように振り返らずに手だけをひらひらさせて去って行く。
行かないで、行かないで、

※※※

珍しい光景だ。聖はしばらく扉の前で固まってしまった。
今日は栞は用事があると言ったのでマリア像まで彼女を送った後、久し振りに薔薇の館へ行くことにした。特に企画もない時期だから座談会となっているだろうなと考えていたものの、いざビスケット扉の前に立ってみると物音一つしないではないか。仕方ない、誰かいないかどうか確認してからさっさと帰ってしまおう、そう思って開けた先に視界へ飛び込んできたのはなんと紅薔薇のつぼみである友人、水野蓉子の居眠り姿だった。
いつものお節介で世話焼きな何かと完璧にこなす彼女が眠っているとは。何もない季節なのだから疲れたというわけではあるまい。
紅茶も飲みかけで、少し寝苦しそう。滅多にない彼女を観察することは丁度良い暇潰しとなった。
耳を澄ますと何か寝言も言っている。よく聞こえなかった言葉が次第に蓉子の大きくなる声に乗って聖の耳にまで届いて来た。
「いか、ないで…」
とても苦しそうに、切なそうに、悲しそうに、蓉子の口から言葉が洩れる。
「いかないで…!」
「何処へ誰が行くのよ?」
「うわっ!?」
このまま寝かしていると目覚めを悪くさせるだろうと声をかけたら、飛び跳ねるように蓉子は身を起こした。
「ごきげんよう」
「え、えぇ、ごきげんよう…じゃなくて。聖、いつの間に来ていたのよ。起こしてくれてもよかったのに」
「別に。たまには大変そうな蓉子を休ませようと。後、滅多に見れない友人の寝ぼけ面も見られたし」
自分のふざけた答えに蓉子は眉にしわを寄せながら、冷めた紅茶を入れ替えるため席をたった。そんな姿をみて少し上機嫌になった私はさらに質問をなげかける。
「で、何処へ誰がいくのよ?」
「………」

※※※

「………」
私は答えず、おかわりした紅茶を飲んではぐらかすことにした。そろそろお姉さまか妹が来てもおかしくない時間だというのに、まだこの部屋には二人しかいない。聖はまだ私の夢に興味を持っているらしく、透き通る瞳でこちらを見つめていた。
だけどそれもしばらくのことで、無言を突き通す私に呆れたのか興味を失ったのか、顔を横に向けて窓の向こうへ視線を移した。
あぁ、これが怖かったんだなと思考の片隅で思う。
そう、私は怖いのだ。聖が何かに興味を失い、雪のように消えてしまうことが。久保栞ではない、他の周りの何かへの興味を失ったらきっと彼女は飛び立って行く。さしずめ、私は聖を地上に束縛する鎖だ。天使たちが飛び立った蒼空に待ち受けるのは、きっと硝子細工が砕け散るような現実だから。
なのに少しずつ、少しずつ、私という鎖は細くなり錆びついてきている。側には白薔薇さまもいるが、それでも足りない。
聖がコーヒーを飲み終わり、水道へ行くのが見えた。雰囲気からすると私以外誰もいない薔薇の館にいる意味はないらしく、帰るつもりだ。
その姿が先程の夢の聖にそっくりで、私はさらに恐怖に囚われた。私の心の最後のピースを手に持って、千切れた鎖から開放されて、空に飛び立ってしまう。そう思うと共に、私は頭で考えるより先にコップを洗い終わった聖の手を掴んだ。
「…なに、蓉子?」
聖は訝しそうな顔をして私に尋ねる。
「あなたなのよ…」
「え?」
俯いて、呟く私に聖の声が降り注ぐ。
「さっきの質問の答えよ…あなたがどこかへ行ってしまいそうで怖かったの…」
「………」
「どことは言わないわ、ただ、いかないで…ここにいて…」
私は彼女の目ではどう見られているのだろう。私は彼女が硝子細工にみえる。束縛されるべきではない天使にみえる。
だけど聖は人間で、地上から消えてはいけない存在で。
「…蓉子、痛い」
「え、あ…ごめんなさい」
少し強く掴みすぎたらしい。慌てて手を放すと聖は赤みがさした手をぷらぷらさせてから溜息を一つはいた。そこにどんな意味があるか、それは彼女自身しか知らない。
「遅れてごめーん、ちょっと先生に捕まっちゃって」
二人の間に沈黙が降りるか降りないかの頃合に、ビスケット扉が開かれて白薔薇さまと私の妹の祥子が現れた。わざわざ白薔薇さまは祥子と肩をくんでの登場である。
「って、おや珍しい。聖が来ているなんて久し振りじゃない」
「ごきげんよう、お久し振りですお姉さま」
「なになに?また私が祥子と一緒に来たのが気に食わないの?」
「自分の妄想を膨らませないでください」
白薔薇姉妹が言い合いをしている間に祥子は静かに私の隣へ納まった。そして私に一度顔を向けると綺麗な顔の表情を曇らした。
「お姉さま、何かありましたか?」
「えっ…ううん、何もないわ。心配かけるほど顔色悪かった?」
「いえ…ただどこか苦しそうというか、そのような感じがして」
相変わらず、祥子は人の感情に関してとても敏感だ。隠そうとも、すぐに見つけられてしまうみたいだった。
「そうね、少し苦しいかもしれないわ…でも大丈夫。このくらいで折れてたら、私はとっくに"お節介焼き"の性格を返上してるもの」
祥子は話についてこれずに戸惑っている。
白薔薇さまはまだ聖で遊んでいる。
聖は少し困った顔をしながら彼女のお姉さまと話している。
それでいい、聖や久保栞には悪いけれど、まだ貴女たちを地上から放すわけにはいかない。
いつかは切れてしまう鎖だけど、いつかは崩されるパズルだけど、まだ磨けば錆は落ちるし、パズルはまだ完成さえもしていない。
がんじがらめでは硝子は砕ける。あなたにとって私は何なのかは分からないけれど、私はあなたにとって何であるべきか。それの感覚だけでも掴めたと思う。

悪いけれど、まだまだ私はあなたに"お節介"をしてしまいそうだ。

0 件のコメント: