2008年2月20日水曜日

ワカレミチ

道は続くから
分かれ道別れても
もう一度会えるから
歩き続ける限りきっと
君との道は繋がっている

※※※

眩しい
暗いのに、眩しい
なんで?

幸村は雪に照らされた朝日を受けて眠りから目覚めた。
目を擦りながら光を辿ると、カーテンが微妙にずれていてそこから反射した陽が差し込んでいる。
まだ寒い、まだ眠い。その二言を呪文のように繰り返しながら再び布団の中へ潜り込む…ことはできなかった。
「ゆきーっ!!起きろ、約束の日だぞー!!」
窓の向こうから天真爛漫な声が聞こえてくる。どうして彼女はいつもタイミングよく自分を起こしに来てくれるのだ。寝癖でぼさぼさになった髪をかきあげながら、幸村は大声で玄関前で待っているだろう柚子に返事した。

※※※

「ほら、早く!場所は待っててくれてても、時間は待ってくれないんだから」
「待てよゆず、俺まだ起きたばっかりなのに」
そんなの寝坊するゆきが悪い、なんて笑いながら言われたのに言い返せないのが悔しくて。幸村は少しふて腐れながら先を走る柚木に駆け寄った。
天気は真白な雲が浮かぶ清々しい程の晴天、加えて風もないので冬だというのに暖かく感じる。昨晩降った雪は既に道の端に寄せられて、所々に子供が雪だるまを作っていた。
なんというか「平和」、だ。中学生活はもうあと何ヵ月あるかないかなカウントダウン、高校には入学することがついこの間決まった幸村にとって受験戦争はもう無縁なものだった。隣にいる柚子も同じ高校を推薦でとっくに合格している。
そんな柚子から"約束"をされたのは幸村が合格を知る少し前の晩だった。
『ゆきが合格したら、今度の週末は写真取りに行こう』
電話から聞こえる有無を言わさないそのセリフに、幸村はただ頷くしかなかった。仕方ないなと言いながら、自己採点では余裕をもって合格圏にいたので、その日の夜のうちに用意を始めてしまったのは恥ずかしくて彼女には喋っていない。
幼馴染みの柚子と幸村はよく小さい頃から写真を撮りあっていた。初めは親任せだったカメラを二人は同時に興味を持って、小学生の終わりには自分のものを買ってもらっていた。
それから回数を忘れるぐらい、暇があれば二人ででかけて様々な場所で写真を撮った。部活の試合があれば得点をいれた姿、遠足があればはしゃいで大きく口を開けて笑いあう姿、といった具合に。
あまりにも自然な関係に周りの友人も特にはやし立てることもなく、ただの写真好きな二人としてここまできた。多分、高校でもそうだろう。
「何ぼーとしてんの?今日はとことん撮りまくるんだから、フィルムの余裕なんて考えるなよ?」
「殺生な!今月はもうだいぶ使っちゃってるのに」
「その顔もらい」
瞬く瞬間も与えずに、パシャリと小気味いい音が柚子の手の平から聞こえてきた。やられた、普段から人の顔をよく撮る彼女には幸村いえども油断してはいけないというのに。仕返しにこちらも、としたが簡単に防がれてしまったので、仕方なくカメラを空に向けて一枚撮った。
「幸村はあんま人を写さないよなー」
フィルムを巻きながら柚子が話しかけてきた。
確かに、幸村は柚子と違って人を撮ることが少ない。人物写真も嫌いではないのだけど、人が写らない無機質なものの方が気分が落ち着く感じがしたからだ。
そのことを柚子に言ってみると、少し悲しそうな顔をされたうえ、カメラの角で殴られた。
「もったいないよゆき。雲と人の表情に同じものはないというよ?こいつらにさ、記憶させたいって思わない?」
こいつら、と先程凶器となった黒いカメラを軽く指で叩きながら言われた。
「んなこと言っても…今までと変わらない日常なら、いつも同じだろ。変わらないならいいかな…と思って」
「違うよ、日常とかそういうのはいつ日常じゃなくなるか分かんない不確かなものなんだから。だからこそいつ変わってもいいように記憶に止どめるんだよ」
「なんだよそれ。つかどうしたのゆず」
幸村の顔を見ないで喋りたくる柚子にどこか違和感を覚えた。何か焦っていたり、誤魔化していたりと不安なときの彼女は、いつも人の顔を見ないで要領の得ない言葉を羅列させている。ちょうど今みたいな態度だ。
柚子は余程のことがない限り、こうやって話すことはない。幸村がこんな態度をとられたのは彼女の母が倒れた時か、大事に飼っていた猫がいなくなってしまった時ぐらいだ。
だから、柚子が今とても大きい秘密を抱えていると確信できた。
「何隠してるゆず」
今まで進めていた歩を止めて、幸村は先の分かれ道となる先端にいる柚子の背に問いかけた。何か悩みがあるなら打ち明けて欲しかった、昔から自分が彼女に力をもらったように力をあげたかった。
そんな幸村の問いに答えず、柚子は分かれる道のどちらへ行こうか悩んでいるように一度立ち止まると、予告なしで右の丘へ上がる道を駆け始めた。
「え、ちょっ…待てゆず!!」
これが文系の同好会とよく入賞しているバスケ部レギュラーの差か。男だというのに幸村は丘に着くまで柚子に追いつくことができなかった。


高く昇った太陽が遮蔽物のない丘を照らしている。まだ人の手が加えられていないため、小さな雪原となっている丘は太陽の光を反射させて、白銀の世界を作り出していた。雲一つない空の青と白銀は言葉が思いつかないくらい綺麗で、幸村は思わずここに来た目的を忘れてカメラに収めたいと思ってしまった。
しかし慌てて目的を思い出した幸村は、隣でずっと黙っている柚子の方へ視線を移し、彼女の顔を見た途端戸惑った。
柚子は顔をくしゃくしゃにしながら泣いていた。嗚咽も漏らさず、ただひたすらにその瞳から涙を流し続け、まるでこの世界を写真のように焼き付けようとしている。溢れる涙で周りはぼやけて見えるはずなのに、彼女はこの風景を見続けた。
そんな柚子に幸村は言葉をかけず、静かに空へと視線を戻した。そしてカメラではなく彼女と同じように自分の瞳でこの風景を焼き付けた。
「…ごめん」
どのくらい互いに喋らず時間はたったのか、不意にぽつりと柚子が呟いた。
「ん」
「いろいろとごめん」
「ん」
「幸村にね、今日はいろいろ言いたいことあった」
「…どんな?」
「でも、ごめんしか思い浮かばなかった」
俯いて、風で吹き飛ばされそうな声で柚子は喋りかけてくる。先程と違ってどんな言葉をかけるべきか幸村が迷っていると、柚子は一度拳を強く握って勢いよく幸村のほうへ振り向いた。
「ごめん、ごめん…私、もうゆきと一緒にここにいられない」
柚子の言葉の意味が分からなかった。
分からないはずなのに、頭のどこかでさらさらと"日常"というものが崩れるのを知った。今まで鮮やかすぎて、あまりにも自然すぎて、自分の一部のように思っていた大切なナニカが風に飛ばされていくのと似た感覚に足が竦む。
幸村は柚子の言葉を止めようとしたが、身体は鉄の棒を突き刺されたように動かない。
「他愛ない理由なんだけど、ね。父さんと義母さんの都合で遠くの方に引っ越すことになった」
「…んな…いきなり」
幸村のようやくだした声はとても情けないもので、自分に嫌気がさして仕方なかった。
「ごめん、話自体はだいぶ前からあった。いきなりにしたのは怖くて話さなかった私のせい」
「な…、じゃあ高校は…!?」
「まだ私立の入試が終わったばっかだから、県立にはまだ間に合う」
「そういうこと、言ってるんじゃなくて!!」
思わず声を荒げてしまい、自己嫌悪もいいところだと幸村は思った。自分もそんなことを言いたいんじゃない、違う言葉を彼女に伝えたいのだ。
しかし足りない言葉に託した想いは柚子に届かず、喉の奥に詰まっている。
「あはは、分かってるって…私も同じ高校行きたかったな…」
いつもの彼女にはない、痛々しい笑顔を幸村に向けてくる。涙のせいで目の周りを赤くして、心を隠すように頬を上げていて。
「だからそういうことじゃなくてだ…!!」
見ていられなくなった幸村は身体を思うがままに動かした。誰もいない丘だったのが幸いだ、柚子の肩を引っ張るようにして彼女を自分の胸に抱き寄せた。足下の雪が飛び散ってきらめいている。
「ゆっ、き…!?」
「あー、今更だな、今更だが言うからな。俺は沢原柚子のことが大好きだ。いつからかなんて忘れるぐらい前から好きだった」
ふぇっ、なんて素頓狂な小さい叫びが耳元から聞こえた。でもこちらも茹でられたぐらいに顔が真っ赤なので彼女のことを真正面から見られない。
「そ…そんなこと、言ったって」
幸村のコートを力の限り掴みながら柚子はごにょごにょと呟いた。少し余裕の生まれた幸村がちらりと彼女を見れば、顔を自分のコートでうずめているものの、柚子の耳が幸村と同じく真っ赤なのが確認できた。
「あ、いや引っ越しを引き止めるためとかじゃないからな。ただ純粋にだな、言おうとな、思ったわけでだな?」
「…ゆ、ゆきのばか野郎」
「…ん」
軽く心に刺さった。
「そういうの、もっと早く言え」
「ん」
「…あ、やっぱ言うな」
「どっちだよ」
「ほんとなら、今日は沢山いい思い出つくったんだ」
「…ん」
「で、最後に私が言うはずだった。ソレ」
「……」
「ゆきのばか野郎」
「ん…」
「どうすればいいの…もう頭がパンクしてる」
「あー、キスして」
「死ねばか野郎」
「……」
「あ…やっぱ死ぬのなし。悲しいから」
「どっちだよ、まったく」
「だって好きだし」
「ん、俺も」

※※※

しばらく満足するまで抱き合っていた記憶が懐かしい。
あの後の帰り道、分かれ道で幸村は右を選び、柚子は左を選んだ。行こうと思えば一緒に帰れたが、二人とも自分から別の道を選び進んでいった。

分かれ道でも繋がっている、そう確信できたから。
歩き続ければ、また一つの道になることを知っていたから。

季節は過ぎて、一巡り。幸村は必ず冬が終わりかけた頃にあの丘を登った。
季節は過ぎて、巡り巡る。気がつけば、大学に入る年齢にまでなってしまった。

※※※

季節が巡って、桜が空を桃色に染め上げている。
パシャリと小気味いい音が幸村のカメラから聞こえた。幸村は自分と同じ大学へ入学した笑顔の同級生たちを狙って、もう一度巻き上げたカメラを構えてシャッターを切る。

《パシャリ》

今度の音は背後から聞こえたシャッター音と綺麗に被さっていた。
少しの間、目を見開いてカメラを構えたまま動けずにいた幸村は、苦笑しながら振り向いた。
そこには一つの大きな瞳を構えた女性が、分かれ道を自分と同じように歩き続けた幼馴染みがいた。

「……」
「……」
「よ、おかえり」
「ん、ただいま」
「道、繋がってたな」
「当たり前、もともと一つの道なんだから」

※※※

道は続く
何度分かれ道別れようと
歩き続ける限り
君との道はつながっている

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