2009年4月7日火曜日

桜雲抄

その花は樹を雲が包んだようで

その地で過ごした人の記憶を蕾に孕む

喜びも、悲しみも、全ての想いを受け取って

淡く儚い花を咲かす

※※※

卒業式に桜が咲くことは珍しい。
ボクの先生はその長い髪を無造作にかき上げながら独り言のようにつぶやいた。そんな何気ない行動一つにも色気が含まれてしまうのでボクは薄く頬が染まるのを感じてしまった。
その様子に気がついた先生は、先程自分の髪を触った長い指でボクの短い髪を丁寧に撫でてきた。時折耳に柔らかな肌の感触を感じ、思わず首をすくめてしまう。

そんなボクを見て微笑む先生は、ボクの恋人だ。

先生は産休のため、前任の先生がいなくなった代わりに夏の終わりにやって来た。
そしてボクは一目で彼女に全てを奪われた。気がつけば目で追っていて、気を保たないとすぐに足がそちらへ行ってしまう。同じ教室にいるだけで、頭が真っ白になったり顔が真っ赤になったりと大忙しな状態だった。
これ以上このままだとボクは壊れてしまう。そう理解したボクは勇気をかき集め、教室が夕暮れに染まるなか、彼女に想いを告げてしまった。今では笑い話になるけれど、フられた時のために退学届けの準備までボクはしていた。結果として、何とか退学は回避できたわけなんだけど。
ボクたちの関係は面に出せないものだったけど、二人で完成された世界がそこにはあった。その世界には幸せだけを求められる。そのうえ、今日ボクがこの学校を卒業することで、ボクたちの枷が一つ外れるのだ。
青空の下で綺麗に映えた、先生曰く今の時期に咲くのは珍しい桜は、窓枠で切り取られた絵画のようで、そう思えたボクは幸せしか感じることができなかった。というかもう人生桜色。
「ねぇ」
「ん、先生なに?」
「今日、あなたは卒業するのよね」
「そうだね、これで先生と生徒の関係から卒業しちゃうんだ」
「…今の関係も、卒業すべきだわ」

世界が、凍り付いた。

ボクの髪からいつの間にか頬辺りまで触っていた先生の指がいつの間にか離れていた。ギチギチと錆びたブリキのように横を振り向いて、そこにあった先生の瞳にボクは氷を喉に押し込まれた感覚がした。
何かを受け止めて、何かを理解して、何かをしようと決意した瞳。ボクたちの世界を壊す何かを秘めた、冷たい瞳。
窓の外は春うららなのに、この教室がひどく寒く感じてしまう。

「今日、あなたはここを卒業するわね」
いやだ、卒業したくない。
繰り返される先生の言葉にさっきとは矛盾した願いがボクのなかを渦巻く。
「…これを機に、」
いやだ、いやだいやだ…
「私からも…「い、いやだいゃだいやだっ!!!」
静かな教室にボクが立ち上がった勢いで倒れた椅子の音が響く。遮断された世界(教室)はひどく暗い。空気に溺れた魚のように、ボクは光を失って息遣いが荒くなった。
「な、なに言ってるのか判んないよ、先生ぇ…っ!!」
「卒業、するのよ」
勝手に出てきた涙で視界が歪むなか、不思議なことに先生だけが形を保っている。それが悔しくてさらに涙が溢れてきた。
数分前は完成されていたのに、幸せで満ちていたのに、未来に光を感じていたのに、今や全てがひび割れている。
「なん、で…」
「あなたには、視えない未来がたくさんあるもの…まだ、世界を完成させるのには早い。私から離れて、もっともっとたくさんのことを知るべきだわ」
「そんなの!!」
そんなこと、関係ないのに!!先生さえいればあとはどうなろうとボクには関係ないのに!!
「そういうのを言うには、あなたはまだ幼いから」
「幼くなんかないよ!先生が好きだってことに、年齢なんか関係ない!先生が好きなんだ、好きだから、大好きだから…!!」
ボクの叫び声だけで満ちていた教室に、パシンと澱みのない音が貫いた。
横に動いた先生の手をみて、頬を触って、わずかに熱をもっているのを知って、ようやくボクは先生にはたかれたことが解った。それだけで、何もかもが白く染まってボクの身体は周りのこと全部を理解するのを否定したくなった。
「今に満足して…新しいことを知るのを拒んではいけないわ」
はたいた手をもう片方で抱えながら、先生は静かに言った。
混乱が極まって途方に暮れたボクは机に手をついて寄り掛かる。何かに支えられなくちゃ、もう立てない気がした。ボクを支えていた一番の柱が外れてしまったから…そう思って、もう先生がボクと別れることを許容しているボクがいることに愕然とした。
ボクと先生の関係はそんなにも簡単なものだったのだろうか?先生と別れ、成長したボクは先生よりも好きな人ができて幸せな日々を過ごせるのだろうか?
そんなあるかもわからない未来の為に、ボクと先生は別れなければならないのだろうか。
「先生は、本気なの…?」
「えぇ…」
以前の先生なら、ボクは暖かさのある言葉しか出てこないと思っていた。でも、今は雪のように冷たくボクのことを拒絶していた。
外では桜の花が雪のように散っている。

今までと違うなら、もう、目の前にいるセンセイは先生じゃないの?

ぐるぐると頭を巡る思考は回る速度が速すぎてボク自身にも掴めない。ふらふらと机から手を離したボクは後退りをして今度は扉に体重を預けた。
窓の外は桜色、ボクの後ろでは扉にはめ込まれた曇りガラスから太陽の光が射している。暗く、寒色に包まれているのはこの世界だけだ…。
教室の冷たさが、ボクの溶けてしまいそうな頭を冷やしていく。もう一人のボクがボクを落ち着かせるように、理解しても認識することを拒んでいたものをボクに見せた、そんな気がした。
だって今日の先生の言葉を聞いた瞬間から、心の隅で準備は整っていたんだ。
先生のことは好き。
先生のことは大好き。
だからこそ、先生のためにボクは…先生が望むならボクは別れなければならないと思ってしまったんだ。
ゆっくりと、扉を横にずらすと廊下の光が暗い教室を照らす。光はちょうど、廊下側とは一番距離の離れた窓際に座る先生の足下に届いた。
ボクは卒業式に向かうため、先生からボクは一歩離れて廊下に近付く。先生は動かないからボクが廊下に出たぶん、ボクたちは離される。それは現実の距離だけじゃなく、心の距離も離れていくようで、一歩歩くごとにボクは胸に刃物を突き立てられるように思えた。
「先生…」
二人だけの距離の境界線に立ったボクは最後に先生へ話しかけた。
「先生はボクのこと、好きだった…?」
確認しても結果は変わらない。言ってから結果が知りたくなくなったボクは、答えを聞く前に光の溢れる廊下を駆けていった。

廊下の光、青空、桜色。そのどれもが目に染みる。

そしてボクは卒業した

※※※

窓の外で座り続けていた卒業式から開放された歓声が聞こえてくる。長い髪を無造作にかき上げた彼女は、その歓声の中に数時間前まで側にいた生徒の声が混じっていないことを理解した。短いながらも柔らかな髪の感触を思い出して、思わず再現できないかと指を撫でる。けれどそこには必要最低限の暖かさしかない冷たい自分の指があるだけだった。
あの無邪気な笑顔は自分に向けられることはなくなった。最後に髪を触ったあとのやり取りも思い出した彼女は、無意識に肩を抱いて教室の隅に身を寄せた。

これでいい
これでいい?
これでいい…

彼女は怖かった。全ての感情のベクトルを自分へ向ける、あの生徒が。
もし、自分のせいであるべき未来を閉ざしてしまったら?
もし、自分のせいで幸せから遠ざけてしまったら?
そしてもし、あの心地よかった愛情が他人に向けられたとき、自分がただ過去のものとして扱われるようになったら…!?
こんなにも、身を焦がれるような想いをしたのが自分だけだとしたら!!

「全部、私の独り善がり…」
言ったことも真実だ。これからたくさんの未来があの子には待っている。自分にかかわってそれを見ようとしない危うさをあの子は判っていなかった。
それでも私のことを見てくれるのならいい。いや、あの子の未来のためにはそんなこと許されない。
最後まで悩まされた矛盾も、終わってしまった。この選択が正しかった、そう思える日が来ること彼女は願った。
それまで、いまだ身を燻る想いと共に舞い散る桜を眺めていよう。
…開かれた窓から一枚の桜が彼女の手の元に舞い降りた。

卒業、おめでとう

心の中でつぶやいた言葉を花びらに込めて、もう一度外へ放った。

※※※

はいどうも久しぶりにSS投稿な神無です。朝から書いてようやっと書き終えました文芸部用のこれ。〆切が明日と書き始めた直後にきて焦ったのは言うまでもなし。つか何してんだ私orz
かずまこをの純水アドレッセンス読んだら書きたくなった。だから色々パクリまくり。初恋カノンをベースにななおたちの話も絡めた感じになった。
"ボク"の性別はお好みに合わせて変えられるように書きました←
私の中では完全におんn(ry

また何か書く時はこっちに投稿になりそうです、しばらく

どうでもいいけど、お祝い用のSSじゃないよねこれ

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